@article{oai:aue.repo.nii.ac.jp:00001952, author = {廣瀬, 幸市}, journal = {愛知教育大学教育創造開発機構紀要}, month = {Mar}, note = {text, 近年、心理臨床実践の領域で注目されているナラティヴは、哲学や社会学の分野でコミュニケーションの問題と関連して取り組まれている。本論では、ナラティヴの「発話主体の意味行為として、行為の遂行としてのナラティヴ」としての側面から、言語と意味作用が通常の仕方では成立しなくなる言語の臨界状況を踏まえた上でのコミュニケーションを考える為、治療的なコミュニケーションを含めて、この問題を多方面から考察した。 発達の視点からは、物語られた自己としてナラティヴが紡ぎ出される原初には重要な他者との共創造が見出された。また、社会学の視点からは、社会学的自己論の「自己とは他者との関係である」と「自己とは自分自身との関係である」という主要な暗黙的前提が「自己を変える」という課題に直面した際に難題に突き当たる様を確認した。そして、ナラティヴ・アプローチ(物語療法)の立場からは、クライエントの語る自己物語の中に完全には一貫していない点、整合的には閉じられていない点を見出すことで、彼らの語る物語を内側から宙づりにして、「自己を変える」ための作業的足場にしていることが解読された。これらを踏まえて、治療的コミュニケーションを精神分析とりわけラカン派のアプローチから捉えてみると、ナラティヴ行為には自分の統御が及ばない他者性が常に既に存在しており、カウンセリング的対話においてクライエントが生成するナラティヴは、クライエント本人の意識では捉えることの困難な無意識的主体が生成するものであって、そのような無意識の流れを通して紡ぎ出されるナラティヴがクライエントのそれまでの自我のあり方を変えていくのだ、ということが理解された。}, pages = {9--18}, title = {治療的コミュニケーションとしてのナラティヴ}, volume = {2}, year = {2012} }